いつも少し死んでいる

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ヴェラキッカの配信みた

マイ フェイバリット ステージ、TRUMPシリーズの最新作ミュージカル『ヴェラキッカ』の配信を観ました。

本当はね、22日ソワレと23日の東京楽を観に行く予定だったんですよ。でもこの情勢と、今絶対感染できない事情を考慮して泣く泣く断念しました。本当に悔しい。マジで悔しかったんですけど、配信を観ていたらさらに悔しくなりました。マジ悔しい、生で観たかった。悔しすぎて舌噛みちぎりそう。語彙が減るくらい悔しい。

 

このシリーズは演出家が「悲劇が約束されたシリーズ」と言い切るほど悲劇が続くので、体力的に1作品につき2回観劇が限界なんですけど、『ヴェラキッカ』は5回くらい見ないと自分が納得できないなって思いました。配信の1回なんて足りないにもほどがある。

私は初見じゃ考察が出来ない、階級社会においてめっちゃ底辺にいる繭期患者なので作品の感想というよりも作品全体の構図に感じた何かを記録に残そうと思います。解像度の高い考察とかマジで出来ない。すまん。

 

1回観た時点での感想は、「ノラ・ヴェラキッカは美弥るりかさんにしか演じられないんだろうな」でした。それは、「ソフィ・アンダーソンは三津谷亮にしか演じられない」だとか、「リリーは鞘師里保にしか演じられない」ということと似ている気がします。(『LILIUM』のどぅーはソフィだし、NU版『TRUMP』のソフィは三津谷くんではないんですけど、今のTRUMPシリーズにおいてソフィは三津谷くんがベースになっていると思うのでそれらは一旦置いておいて。)

D2の亡霊でありD2版『TRUMP』から繭期になったオタク達、または三津谷亮のオタク(私のことです)にとって『マリーゴールド』の例の演出は拷問級でしたよね。三津谷くんのソフィだったから、あの星の轍で観客が一斉に号泣し始めた。

また『グランギニョル』において、めいめいがキキだったからオズと別れるシーンで観客が一斉に号泣し始めた。みたいな、バックボーンを知ってる者が頭を抱えてしまう何かが多分美弥さんにもあったんだろうな、っていうのは感じ取れました。宝塚ファンでなくとも。

 

ここから盛大なネタバレになりますが、ノラは父親の後妻によって幼い頃から地下牢に閉じ込められ衰弱して亡くなっています。鉄の扉越しに食事を運び、話し相手になっていたシオンはそれを酷く後悔し、屋敷の者たちのイニシアチブを掌握して実体のない"ノラ・ヴェラキッカ"を創り出します。ノラの願いであった「沢山の人に愛され、愛したい」という夢を叶えるための共同幻想です。

この事実を知った時、「本物のノラの姿はシオンも知らないんだから、共同幻想を見てもそれぞれが思い描く"ノラ・ヴェラキッカ"は違ってくるのでは?それってオタク同士の解釈違いでグランギニョルにならない?」と思っていました。それを表しているのがノラの衣装なんですよね。ノラは恐らくTRUMPシリーズ史上一番お色直しが多い、つまり各々が勝手に想像しているノラの姿だから人によってちょっと違う。(もしくはシオン自身がノラの解像度の低さ故?)末満~~~!!!!

 

でもこれって、宝塚男役の宿命なんじゃないかなって思いました。アイドルとかもそうなんですけど、ファンが見ているタカラジェンヌって実際のご本人とは絶対に違うじゃないですか。ファンの中で共有されているイメージはあっても、オタクの数だけ"美弥ちゃん"は存在する。また、宝塚男役であった"美弥るりか"が演じてきた役だって沢山あるわけです。何者にだってなってきた"美弥るりか"は、同時に実像が掴めないんじゃないかって思いました。

冒頭の「みんなはノラを愛すけど、でも絶対にノラから見返りを求めてはいけない」という言葉も「あー…分かる…。」という気持ちになりました。みんなのノラ様。みんなの美弥ちゃん。ジャニオタにも通じるものがありました。教訓にします。

やっぱりノラ・ヴェラキッカは宝塚元男役が演じないといけないんだなって。その中でも特に、美弥るりかさんじゃなきゃいけない理由があったんだろうなって。配信を観終わってからすぐに美弥さんのファンの感想を探したら、やはりその通りだったようです。最後の「同じ夢の中で、またお会いましょう」という言葉はノラのものでもあり、同時に美弥さんの言葉でもあるんでしょうね。あの瞬間ぶわっ!と鳥肌が立った。

この言葉、大楽はどうなるのでしょうか…。T/Rのある『TRUMP』では大楽でウルが「もしも生まれ変わったら、僕は君になりたいな」と言えずに終わるように、『ヴェラキッカ』という共同幻想が終わるとき、ノラはなんていうのかすごく気になる。

 

この辺は宝塚を見る上で知っているとちょっと楽しくなる、東園子さんが提唱した『宝塚の4重構造』という考え方の通りでした。役者と役と愛称と本名の層に分かれていて、それぞれの層での事情を重ね合わせながら舞台を見る、というものです。説明すると長くなるのでこれに関してもいつか記事を書いてみたい…。

 

なんか長々と書いたけどとんでもなく薄い感想でびっくりしてる。

あとはキャンディがすご~~く可愛かった!かしゆかみたいな、ああいう重めのぱっつん前髪にロングヘアが大好きなので。平野綾といえば涼宮ハルヒ泉こなたというイメージがひっくり返った。(平成に取り残されし繭期患者)

ノラが「全員から愛されている男役」ならキャンディはそのお相手の娘役ですよね。「娘役トップって"絶対ヒロイン"だけど男役トップのファンの人達の代弁者でもあるの。みんなの"大好き"って気持ちを一身に引き受けてヒロインとしてトップスターにさ捧げるの」という、『かげきしょうじょ!』の聖先輩の言葉を思い出しました。でも、キャンディは平野綾なんだね…あゆっち(元トップ娘役)じゃないんだよ…。

 

シオンとカイに関しては「コラ~~~~~!!!!!!!」みたいな気持ち。このシリーズの男子達は本当に……。これは余談ですが、松下さんと古屋くんといえば私の中では『私のホストちゃん』なので、松下さんがシオンという名で脳みそが混乱しました。

「今回のライネスはここなんだ~~ヤダ~~~~」とひっくり返った。その後も墓参りすらせず案の定シオンだけ幻想に取り残されていて笑った(笑えない)。

私は常に末満のことを疑っているので、「そんなことさせるわけないじゃん!」と…。物語における墓参りや死者への弔いシーンは、その人を死者のいない未来へ導く舞台装置なので。そんなことを末満がするわけがない。でもシオンはそれで幸せだし、キャンディは一人じゃないことを知っているからいいんだよ。…いや、本当にそれでいいのか?今回、直接的な絶望が少ない分「本当にこれでいいのか…?いいんだよな…?」ってずっと疑念を抱いている…。これでいいんだよね…?

 

とりあえず配信を観た感想はこんな感じ。思い出したら付け足します。

繭期歴10年、そろそろ繭期から目覚めなきゃいけないんだろうなとは思うけど一生繭期でいたい。死ぬまで共同幻想を見ていたい。