いつも少し死んでいる

私の話なんて読まずに食べてください。

三津谷亮は無限大

 今更何かを言えるほどのオタクじゃないんだけど、ここで今の気持ちを書き留めておかないと自分が三津谷くんを応援していた十数年も全部なくなっちゃうんじゃないかと思って。全部嘘で幻だったことになるんじゃないかと思って。だから書いておこうと思います。
chirashi-ura.hatenablog.com

 まだ信じられないんですけど、先日三津谷亮くんが芸能界を引退すると知りました。決して前向きな理由ではなく、でも三津谷くんの人間性を知っている身としては「どうして!?」とは言えなくて。「やっぱりね」と思ってしまう部分は正直あります。彼を応援したことがある人ならどんなに好きでも誰もがそう思うでしょう。

元々物凄く繊細で、【三津谷亮繊細エピ】はこれまでいくつもありました。それが近年酷くなっていて、「今は躁状態なんだろうな」、「今は鬱っぽいのかも」と思うことが度々あったので察していました。でも、"役者・三津谷亮"は絶対に不滅だと思ってました。だってこんなにも感受性が強くて繊細な人が、芸能の舞台から完全に降りるはずがない。何より、自分の身体を使ってその全てを表現するような人です。そんな役者が表舞台から姿を消せる訳がない。でもそんなものは一オタクの願望でしかないんだなって痛感しました。絶望してます。この世に永遠なんて存在しない。でも、私はずっとこれからも「3+2+8=∞(無限大)」だって信じていたかった。


 D2時代、全員で掲げていた「16人全員で舞台をやる」という夢が叶ったのがDステ12th『TRUMP』。そこで三津谷くんが演じたソフィ・アンダーソンは「永遠なんてクソ喰らえだ」と言いながらも無理やり不老不死の身体にされてしまいます。そこから数年後に続編である『マリーゴールド』、『COCOON 月の翳り星ひとつ』でも同じくソフィを演じました。役もさることながら、何年経っても変わらないそのビジュアルも相まって三津谷くん自体が不老不死なんじゃないかと錯覚するほどでした。役者にもこのシリーズにも永遠性を求めるオタクが多いけど、もしかしたら三津谷くん自身も「永遠なんてクソ喰らえ」と思っていたのかな。末満健一氏の中でTRUMPシリーズ最終章までの道筋はできているそうですが、最後に相対するクラウスとソフィは陳内将三津谷亮であってほしかった。

 

 三津谷くんの繊細さは、きっと自分の周りにいたら鬱陶しく感じてしまったかもしれない(ごめん)。けど、その分どんな俳優よりもファン想いだというのがオタク内での共通認識でした。

「売れた途端遠い存在になってしまった」と身勝手なことを嘆くオタクがどこにでも存在するけど、自身のオタクに絶対そんな思いをさせまいと必死な人でした。どんな時だって「これからも手を取り合って"一緒に"同じ景色を見ていこうね☆」と何度も何度も言ってくれました。握手会ではこちらのどんなに拙い言葉でも、真っすぐに目を見て聞いてくれて、丁寧に言葉を交わしてくれました。剥がしのスタッフを無視してでも最後までこちらの言葉に耳を傾けてくれました。三津谷くんからあの優しさを受け取ることができたから、応援する人が変わった今でも、自担やそのグループの子たちに優しい言葉を贈ることができているのだと思います。

 話は変わりますが、先日私が今応援しているアイドルグループ・SpeciaLのメンバーである松尾龍が、レギュラー出演している番組『わけもん!!』にて宮崎県内の一輪車競技チームの練習場を訪れました。バレエが特技である彼は、なんと三津谷くんが最大の特技としていた一輪車競技にチャレンジしていました。たつるくんは見事2時間ほどで両手を繋いでもらえば一輪車に乗れるようになっていたのですが、その際指導者の方は「一輪車は手を繋ぐことが素敵な競技」と仰っていました。

三津谷くんがいつも「手を繋いで」、「一緒に」って言ってくれたのは、一輪車での経験があったからなのかな…。そうだとしたら、このタイミングでいつも繰り返していた言葉の本質を知れた気がして嬉しかったです。

 

 どんなに慕う人が変わっても、役者・三津谷亮が原点であることは変わりません。そしてそのことを私は誇りに思います。芝居が上手いと思う若手俳優は沢山いるけど、頭の回転が速く機転が利く俳優も沢山いるけど、でも「この人の芝居が好きだ!」と言える存在は三津谷くんでした。だからさみしい。シンプルにさみしい。観劇する喜びや面白さを教えてくれたのも三津谷くんでした。本当に、彼は唯一無二の存在です。

最後に行った現場は2022年1月の演劇の毛利さん「The Entertainment Theater Vol.1『天使は桜に舞い降りて』」でした。最近は行きたいなと思う作品があっても、何かと理由をつけて行かなかったね。ごめん。そんなオタクがこんなお気持ちはてなを書いたところで響かないのは当然なんだけど。でも、10年以上私を構成するものの中に絶対にいた人だからそんな簡単に受け入れられるわけない。私はまたどこかで三津谷くんに出会えることを信じています。3+2+8はいつだって無限大です。

きっと悲しみの淵にいるであろう今、私達の声が心に届かなくてもいいけど、でも声を出して応援していたオタクがいることは知っていてほしいです。そして何よりも、自分が演じてきた役達の言葉を忘れないでいてほしいです。

 

 中学2年生なんて一番多感な時期に三津谷くんの存在を知り、どれだけ救われただろうか。元々好きだった紫色はさらに好きになり、文房具も全部紫で揃えました。高校の体育祭で紫団になった時は団別Tシャツにデカデカと"三津谷亮"と油性ペンで名前を刻みました(黒歴史)。どのアイドルグループを見ても必ずメンカラ紫の子をチェックする癖がつきました。今でもメンカラ紫の人は無条件で贔屓してしまいます。今の自担が自ら「メンカラは紫が良い!」って言った時なんて大喜びでした。三津谷くんが青森出身だから…とリンゴモチーフの小物を集めたり。"ふじりんご味の三ツ矢サイダー"なんてもう最高でしたね!いつか車を買ったら絶対にナンバーは「328」で登録するって決めているんだ…………………。

 

 こんな折に、吉川トリコさんのエッセイ『おんなのじかん』を読みました。そこで吉川さんは「長く一緒にいる相手のことを『空気のようだ』と表現する人がいる。そういう意味なら私にとって夫は空気だけど、『あたりまえにあるもの』という意味なら違う」、「夫のことを、いつかいなくなる人だと私は思っている。」(要約)と言っていて、雷に打たれたような衝撃を受けました。その通りだ………。私は三津谷くんのことを自分にとっての空気や水だと思っていました。だから降りる降りないレベルの話じゃないとか言ってました。この世に絶対はない。会いたいなら会える内に会わないといけない。伝えたいことは伝えられる内に伝えないと。そもそも私達は"役者とファン"であり、友人でも恋人でも夫婦でもない。つらい。

 そうは言っても、アイデンティティを失ったようでずっと抜け殻です。もっと色々「あの役が好きだった」とか「あの出来事が楽しかった」とか沢山書きたかったんですけど、納得いく言葉が出てこないからこんな混沌としたお通夜になっちゃった。

とにかく、私は永遠にさようならだとは思っていません。この世に永遠なんてないって身をもって経験したけど、「絶対」だってこの世にはないはずです。だから、今はこの言葉で終わろうと思います。今まで本当にありがとう。そしてお疲れ様でした。楽しかったよ!またどこかで会いましょう。へばねぇ~☆